The journey of Marialuisa

若干厨二病のMarialuisaの気まぐれ旅行

転校

 ホームステイに引き続き、ママンが突然…。

 『あんた、留学したい?する?』

 良いの???まじで???この頃、留学にはかなりのお金がかかると知って

 頼むにも頼めず諦めていた頃だった…。

 聞かれた瞬間、二つ返事で『する!したい!頑張る!』って速攻答えた。

 が、ママンの考えはちょっとあたしとずれてた…

 『大学で4年間遊ばれるより良い』だった。


 あたしは遊ぶ!と断言されてるのが悔しいが、大学に4年間通って喋れるようになるには

 かなりの努力を要する。私のような飽きっぽい性格、流されやすい性格の人間は

 絶対無理!って・・・正解!


 まず、私の辞書に『努力』と言う言葉自体は存在するんだけど、広辞苑に載ってる意味と

 少しばかり違う…。私の辞書にある努力の意味は…

 『楽をする為に出来るだけ頑張る事』

 こんな頭脳派とは程遠い私が英語を覚えるには行くのが一番!

 ママンはやはり一番良く私を理解してる。


 と、言う事で、行く事になったのは3年生になって直ぐ。

 まずは、留学する為にしなきゃいけない事。受け入れてくれる学校を探す事。

 それも大変だった。なにせ、あれだけN.Yに行きたい!と思ってた私だったけど

 今度はWilson家に戻りたい!って言ったの。そこからが大変だった。

 Wilson家に願い出る、1年と言う長い期間だったので

 承諾してもらえるか不安も合ったけど

 少し考えてもらって…と思いながら電話してみると…

 その電話で直ぐにOKの返事。

 凄く嬉しくて、直ぐにでも準備にかかろう!って事で

 互いの家族総出の状態で留学に備える事に…。


 学校の手配はJEFFがしてくれると言う。

 こちらでは私の高校の承諾、そしてビザの手配。

 問題点が数々浮上した。もしかして行けないのかも!

 って気にもなる事がたくさん起きた。

 まずは、自分の足でいける学校を希望した事もあり、

 あちらの両親の出身校の公立高校への留学。

 公立高校に留学すると言うのは珍しい事だったらしい。

 普通は私立校に行くらしい。

 その理由は学力の差だったんだけど、私立校は日本とほぼ同じレベル。なんだけど

 公立校はちょっとどころか偉い違った…これは行ってからわかった事だったんだけど、


 数学で説明すると…

 小学校で加法減法、中学校で乗法、高校で除法をやる感じ…

 わかる???凄いレベルが低いの。

 そんな公立高校に留学しようって人はそうそういないらしく、

 JEFFの方でもトラブル発生。


 行く予定の学校は留学生の受け入れをした事が無いらしい、

 と言う事で転校扱いなら出来ると…。


 私の高校の方も担任の芳江の頑張りにより、

 転校受け入れの学校の場合でも留学として単位の移項をしてもらえる事に。

 つまり、最終的にはどちらの学校も卒業できると言うラッキーな結果に。


 この頃、単位を認めて移項し、同じ学年を2度しなくても

 卒業できる制度が出来たばかりだった。

 誰もが手探りの状態。

 実際書類上は卒業資格になるのだがそんな事は私にとってどうでも良い事だった。


 どうでも良くは無いってのは後でわかったんだけど…

 卒業資格になるのは、日本の高校の方だったのさ。

 これで、一流企業と呼ばれる場所への就職は絶たれる事に…。

 まぁ大学行けばそっちが最終学歴だし…。

 英語が話せると言う事は、何よりも武器になると思ってたので問題ないと思ってた。


 双方の学校の意見が結ばれ、後はビザの取得。

 ところが!この時代、留学に行くのが遊学になる前の事だったので

 代理店の出してる留学システム以外でのビザの発行が認められなかった。

 もちろん、そのシステムを使うと、莫大な費用がかかるのも当たり前だし、

 行く学校も指定される。


 ステイ先もそこで指定される。ステイ先も面接があると言う…。

 某代理店H.I.○では、ママンが切れるという事件も起きた…。( ;^^)ヘ..


 何度も何度も大使館に電話して発行を認めてもらうよう、

 受け入れ先も決まっている事を告げるが

 どうにもならない…八方塞に…双方の親、学校の先生、もうだめかと思った時。


 JEFFが仕事先で一人の日本人と出会う。その彼はアメリカで代理店をしている人だった。

 JEFFの紹介でアメリカから日本の支店の関西の代理店、代理店からうちへの電話。


 それは仙台にはない代理店でペースインターナショナルと言う会社。

 留学の斡旋をしてる会社。

 架空のプログラムを作り上げ、簡単な面接を電話でしてもらい

 合格と言う事でビザと航空券のみの代理発行をしてくれると言う。

 そして、やっとビザの発行が認められた!こんなに苦労して取得したビザ。

 パスポートを大使館に送りビザをつけた私もパスポートが戻ってきた…。

 それには一通の封筒がホチキスで止めてあった。それと一通の覚書。


 『これは出国まで開けてはいけません、開けると無効になってしまいます』


 どうよ!こんな事かかれて!気にならない???

 あんな苦労して取ったビザ!見てみたくない?

 あの手この手で見ようとしたけど、ダメだった…しっかりと封してあった…。

 てか、後で見れたんだけど、たいした事無い紙一枚。

 この紙に70万以上もかかってるんだ~とビックリ。



 転校経験は小学校の時に一回。

 しかし、その転校先には幼馴染がいた。

 全く知らない人だけの中に入るのは初めての経験だった。


 しかも、英語はあまり喋れないし…。

 学校が始まる2週間前に渡米してたにもかかわらず、全然上達しない英語。

 家族の人は気を使ってゆっくり喋ってくれる。

 だけど、留学生を受け入れた事の無い学校。

 果たして、ちゃんとゆっくり喋ってくれるだろうか?

 家で姉妹の会話を聞いてて思ったんだけど、

 あたしに話す時はゆっくり話してくれるの。

 でも二人が話す時はメチャクチャ早いの。

 かなり手加減してくれてるんだって思ったら怖くなった。


 アメリカの若い人ってアメリカ人の大人が聞き取れない位早口なんだ。

 子供の頃、箸や鉛筆の持ち方注意されるでしょう?

 それと同じようにアメリカ人は誰しも早口を直されるって…。


 不安な気持ちで初日学校に行く。

 すると、不安的中!みんな喋るの早い~~~!

 しかも、私の中での留学生としての扱いってこうなの?

 って理想が崩れる音…

 さすが人種のルツボの国。アジア人一人くらい居たって全然動じない。

 さすがにもう少し気を使ってゆっくり喋ってくれると思ったのに…。

 全然気なんか使わない!


 『わたしゃ、言いたい事を言いたい時に言いたいように言う!』と言わんばかりに…。(T_T)

 頭の中には常に『国民の国民による国民の為の政治』…って…。

 さすが自由の国!!!ガクーン ( ¨)( ‥)( ..)( __)死んだ…。

 怒涛の一日目が過ぎた…すっかり疲れた…。今日一日喋った言葉は…。

 『My name is Marialuisa.I come from Japan.I am 17 years old.』

 何度これを言った事か…。

 そして忘れちゃいけない何度も言った言葉で一番重要なのは…






 I am an Exchange student!!!!






 強調したね。何度も…。

 この後に『だから、ゆっくり喋ってね(^人^)』と言う意味が含まれる…。



 何度言ってもこいつらは!!!!( ̄_ ̄|||)

 ちっともゆっくり喋ってくれない!!!自由かよ!お前ら!!!

 日本には良い言葉があるもんだ。『郷に行っては郷に従え』

 だから、アジア人は順応性が高いんだ!だから、西洋人は順応しないんだ!

 この言葉があるかないかで偉い差がつくもんだ!と何度も思ってた。


 ここまで消極的だと←日本では考えられないだろうけど

 意外と小心者なのよ!うふ(〃∇〃) ☆

 段々話し掛けてくれる人も少なくなる。

 寂しい気持ちより『やった!!!聞かなくて良いんだ!』

 って気持ちの方が大きかった。


 余裕も出てきた頃、学校に日本人が3人いるって聞いた!!!

 なに~~~???はやる気持ちを抑えつつ…救世主か???

 と情報を集めた…。


 最初に聞き取ったのは歴史の先生だと言う…

 すっげ~~~日本人がアメリカ人に歴史教えるなんて…。

 と思ったので、この人は後にしよう…って思った。

 だって先生だし、あわなそうだし…。


 次は図書館のオバチャンだと言う!!!もらった!!!

 調度、教科書を図書館で借りなければいけなかったので行く事に…。


 ちなみにアメリカだけではなく多くの国々では教科書は買う物ではなく借りる物である。

 一年間綺麗に使って、次の学年に回ると言う物。自然に優しいと言う理由か…。

 経済状況なのかわからなかったけど、教科書がもらえないのは残念だった。

 が、もらわなくて良かったって後でわかった…。

 でかいのよ!一冊一冊が!広辞苑なみの厚さの教科書が6教科分!

 おもっ!!!ロッカーに置き勉すると盗まれるので

 (盗んだ子はどうするのかと言うと…

 一冊は家での宿題用、一冊は学校用にするんだってさ。持って帰らなくて良いように)

 毎日筋トレさせられてた。したくもないのに…。

 そんなこんなで意気揚揚と図書館へ…。


 すると直ぐにわかった黒髪のオバチャン!と言うよりおばあちゃん…。

 早速笑顔で話し掛ける。一応英語で『はろ~』返ってきた言葉は。

 『日本人?』

 やった!もろうた!色々聞ける!って思ったのもつかの間…。

 『I don't understand Japanese at all because of I'm the 2nd Japanese origin.

  I only know HAI,IIE,NANI? 』


 【訳】私は日系2世だから日本語は全然わからんよ。

    はいといいえと何?しか知らんよ。






 何?



 それは私が聞きたいの!!!!Σ( ̄ロ ̄lll)



 諦めて歴史の先生の所へ…

 3世だった、もっと悪い…日本に行った事すらないそうだ…。

 もう一人を捜し当てた…。学生だった…最後の頼みの綱だった…。

 確かに東洋系の顔!もらった!『こんにちは!』笑顔!笑顔!(●^o^●)

 ~>゜)~~~

 名前はモイ…ベトナム人だった…。本人曰く、自分は日本人。

 あぁそうでっか…。

 何の必要も無いのに嘘をつく彼女…


 アメリカに住んでる人って大人びてる割に凄く子供っぽい時があるの。

 小学生みたいなばれる嘘を平気でつく…精神年齢が低いんだよね…。

 もう、良いわ…。


 英語を聞くのも話すのも段々とイヤになってくる…。

 こっちの人は自由すぎるので私も合わせる事にした。

 無口なMariaちゃんで通す事にした。

 んだけど、前述にもある通り異様に子供っぽい生徒たち…。

 なんでだったっけかなぁ?よく覚えてないんだけど

 何があっても動かざる事山の如しだったあたし…

 経済の時間にアルトゥーロと言う男の子に絡まれた。

 それを止めてくれる女子。全くもって小学生である。

 別に気にならないから良いよ。(何言ってるのかわかんないし…)

 と女子チームに言ったんだけど

 たった一個だけなんとなくわかった言葉があった。それは…







 チビ



 切れたね。初めてアメリカで切れたね。

 ここで怒る事自体、私のレベルも一緒だってことに

 気が付かなかった…( ;^^)ヘ..

 スクッと立ち上がって日本語で…


 『お前、いい加減にしろよ~しまいにゃ、切れるぞ!』←切れてるけど…(^_^;)


 そう言いながら彼の机と椅子(くっついてる)を蹴り倒した。

 彼のだけ蹴るつもりが、ドミノのように次々に倒れる机と椅子…。

 青ざめるあたし…Σ( ̄ロ ̄lll) ただ、性格上、引くに引けなくなってる私…。

 泣きながら何か言ってる彼←もう聞いてない。

 倒れた机と椅子を直すクラスメート…ごめんちょ~~~と思ってはいたんだけど


 あまりの場の重さに教室出ちゃった…(^_^;)あぁ取り返しのつかない事を~~~!

 そこへ、駆け寄ってきてくれたのが、マリアルイッサだった。

 (あたしの名前は彼女の名前を借りてます)

 『格好いい~ヒュ~!あいつガキなんだよね~』

 何故か、彼女の言ってる事だけは聞き取れたんだ。

 それから、マリアルイッサとの学校生活が始まったんだ。開き直って正解!


 ちなみに翌日アルトゥーロは校門で待ち構えてた。

 やばい!!!と思ったんだけど、なんと!!!

 半べそで謝ってくれた。クラスのみんなに『お前が悪い!』と言われたらしい。

 それからはすっかり仲良しになったよ。

 でも、ごめん。ちょっと他のストレスとかも一気に解消したのかも…。( ;^^)ヘ..




 あたしのいった高校はフットボールチーム(あって当たり前の)も

 あるのかないのか…って位すさんでた学校。

 つまり悪かった学校。抜き打ちでFBIが麻薬捜査に来るような…。

 校門にはエスケープ防止の為に門兵ばりに銃を持った警備員までいる。

 時間外の出入りは彼らの許可なくしてありえない。

 私は良い子ちゃんだったのであまり気にならなかったけど…むしろ仲良しだった。

 だって、大人ってゆっくり喋ってくれるんだもん~~~!



 アメリカの授業とは面白いもので2期制なんだけど、毎日6時間同じ授業を1期にとる。

 つまり、一時間目から六時間目まで毎日一緒。時間割なんてなくて良いの。

 毎日一緒だから。


 授業の取り方は生徒個人がカウンセラーと相談して卒業までに必要な単位を取る。

 私の単位には足りない物があった。それは日本に無い授業。アメリカ史、アメリカ経済。

 そして、国語だった。←なんで?って思うでしょう。アメリカの国語はもちろん英語っす。

 古文がなかったの。


 それと日本でも成績が悪かった理科!足りなかったらしい…ショック…(≧▼≦;)

 カウンセラーの先生と相談してたら、ほとんどの単位が足りてるから

 足りないの入れたら後は好きなの取って良いよ!って!

 まじ???ラッキー選べるの???

 って事で一期にコーラス2期で体育を取る事に!

 後はコンピューターとかも取ってみた。


 考えてみたら、これが半年続くんだからちゃんと考えれば良かった…

 機械に弱い事とかさ…。

 授業が始まって間もない頃、数学の単位ってみんな普通足りない物だったらしいけど

 私はもちろん足りてたし、だっていまさら割り算習っても…って思うじゃん。

 数学取ってないのは私と学校に一人はいる秀才君だけだった。

 そんな訳で私と彼は数学対決。

 勝てるわけがなかった。と思うでしょう!違うのよ!アメリカ人は見るところが!

 あっちの人って足し算ですら二桁になると電卓使わないと出せないの。

 二桁までなら何とかいける私。暗算したら…


 サン ハイッ!(ノ^-^)ノ ̄ w(°0°)w オォー w(°0°)w オォー


 マジ???こんなんで???引き算もモチ暗算。

 サン ハイッ!(ノ^-^)ノ ̄ w(°0°)w オォー w(°0°)w オォー


 本当に?ドッキリカメラじゃないの?

 あっと言う間に数学の天才として知れ渡った…

 けどさぁ、これって数学じゃなくて算数…


 でも良い気分だった。♪☆\(^0^\) ♪(/^-^)/☆♪


 そんな訳でわからない問題を知らない人からも良く聞かれるようになったんだ。

 でもある日凄い問題がやってきた!!!


 『湖にボートがあります。少し進むと波が7つ出来ました。

  何メートル進んだでしょう?』って…。


 え??え???え????何?これ?


 来週までの宿題だったらしい…答えられなかった…。

 数学の天才(←勘違い( ;^^)ヘ..)としては答えない訳にはいかない。

 ちょっと、これ写させて、週明けにはわかると思うから…。根拠のない事を…。

 家に帰ってJEFFやNORAを巻き込んでの数学大会…自分の宿題そっちのけ…( ;^^)ヘ..

 何回やってもわからない。訳し方が間違ってるのかと辞書片手に何度も何度も…。

 お手上げだった。でも意地っ張りだからさ~わかんないなんて言いたくないのよ。

 日本の高校に電話。芳江にHELP要請…。問題言おうとしたら、数学の先生に代わられた。

 問題を告げると…『ありえない!!!』と…もう一度芳江に代わると英語の問題を読めと…。

 私の訳じゃ不安かい!と思いながらも教えてもらえるかも!と言う安堵感…。

 出来たら連絡すると言うのを聞いて安心して待つ事30分。


 待望の電話!!!数学の先生から!!!一言で答えてくれた!!!







 わからない…







 と…。


 プラスして答えを聞いたら手紙でも良いから教えてくれと言われた…。

 まじでお手上げ…質問されるようになってから初めて答えられなかった…。

 屈辱である。

 週明けに自分の授業そっちのけで数学の授業に出てみると…

 答え…なんだったと思う?







 解なし




 だってよ!ありえるのか?こんなの?

 平然と説明する先生

 『これは~時速とか~時間とか~出てませんので~答えられまっせ~ん!』

 っておい!!!!日本までの国際電話代金払ってもらおうか???(-_-メ)

 日本に手紙しようって思ってたんだけど、あまりの衝撃に直ぐ電話したさ。

 この気持ち分かち合いたくて…。数学の先生は納得しながらも驚いてた。

 これ以来、文章題は聞かないで!と言う事にした…。(-_-;)

 数学の天才も(←だから勘違い…( ;^^)ヘ..)古文には弱い…。

 YOUがTHYになる、古文。お題は『ハムレット』…

 うわぁ~私古文嫌いな上に

 シェイクスピアも嫌いなの~~~

 と思いながら古語辞典がないとさっぱりわからない。

 これではダメだ!と思い日本からハムレットを送ってもらう事に…。


 特急で届いたハムレットを乱読し…まさに乱読…。

 性格上、興味のある事には人がびっくりするほどのめり込む…

 が興味がないと全く身につかない。

 そんな性格な為…ハムレット一日で読み終わって…感想…







 ハムレットって…どれ?




 お~い!読んだんかい!!!???

 全くもって乱れ読みしてしまった為、内容は全然理解してなかった…。

 そして、何とか理解して単位取ったはずなんだけど、

 今思い返しても全然内容覚えてないの。

 そう、全くと言っていいほど…。都合の良い頭だ…。( ;^^)ヘ..


 政治経済やアメリカ史も苦手な部類だったんだけど、

 教科書見ながらのテストとかだったから楽々クリアしたよ!



 無知である事は罪である。

 この意味をアメリカで知るとは…。全く持って平和ボケしていた。

 まず、軽い罪としてはコーラスの時間に音楽の先生にピアノの前に立たされた。

 日本には素晴らすぃ~音楽があると…日本人なら誰でも歌えると…。

 突然ピアノが鳴り出す…歌えって事だな?君が代か?荒城の月か?と思ったら…。

 『桜』だった。な~んだ、OK!OK!と思って歌い始めた途端に流れる汗…。

 『♪さくら~さくら~弥生の空は~見渡す限り~。さくら~さくら~…

   や…よ…い…の空は~?見渡す限り~?…。』

 し・・・!!!知らん!ここまでしか!!!「(≧ロ≦)

 何とか誤魔化して歌いつづけたが音楽の先生は苦笑いだった。小声で…

 『日本人だよね?』って聞かれた…。

 ε=ε=(((((((*ノノ)イヤンそうで~す!!!


 そして、他には経済の時間、何度か日本を訪れた事がある先生。

 バイトで添乗員をやってるらしい。

 日本について聞かれた…。日本の経済…全く知らん…石になってしまった…。

 そんな先生からの質問…


 『Do you know ZAIBATSU?』


 は???急いで辞書を引く…ZAIBATSU…ZAIBATSU…。

 載ってない…どうしよう…わからない…。

 先生の質問は続く…

 『MITSUI~?MITSUBISHI~?』

 あ!!!財閥!!!はいはいはい!

 (日本人にもいるけど英語なら英語、日本語なら日本語!にしないと

  中途半端に他の言語混ざると

  余計混乱するのよ。『Iね、YESTERDAYに~SCHOOLにGOしたの』

  この、間に入ってる『ね』とか、『に』とかが余計わからなくするのよ。

  だったら単語だけ言われた方がわかりやすいの。)


 財閥!意味はわかった…三井…う~む…三菱…☆彡あ、鉛筆???

 何した企業???

 先生に手でいらない~みたいなポーズされた。捨てられた…。(T_T)

 すんまそん…話広がらなくて…。


 そして、家での出来事、12月になった時の日曜日、

 一歩も外に出てはいけないよ。と言われた…。

 何故か理由を聞くと、パールハーバーの50周忌らしい。

 おかしな人もいるから、危ないって言われた。

 ちなみに私の済んでるエリアは危ない道から一本しか

 離れてなかった。週末ともなれば銃声がとどろく事もあったし、

 向かいの家の人は麻薬ディーラーで

 FBIの人がとっ捕まえに来てた。見てた…。( ;^^)ヘ..


 ケーブルなのに一日中テレビはどこもパールハーバーの報道。

 そんな中何度も聞こえてくる日本人の名前『YAMAMOTO~』

 ・・・誰?・・・それ???

 JEFFに聞くと驚かれた。山本 五十六知らないのか?って…。

 芸能人?誰?有名?

 これだから、Mariaは~って言われた。(-_-メ)ムッ!

 何でよ~知らないよ~。

 説明聞いてもいまいちわからん…って事でお決まりの電話タイム~~~!


 暇だったってのもあったんだけど…おばあちゃんに電話した。

 聞いた。驚かれた…。

 説明聞いて理解…凄い~~~偉い人だ~~~!


 5分後に電話が鳴る。怒れるダディだった…。

 『アメリカ人に山本 五十六について教えてもらうなんて、

 お前は日本の恥だ!』と

 言わんばかりに怒られた…だって知らないものは知らないんだもん。

 後日、愚弟の助け舟。山本五十六は教科書に載ってないからね。

 資料集だから!


 ほら!ほら!ほら!ね!?




 でも、愚弟君は何故知ってるの???ヾ(-_-;) ...



 最大の罪は友達の家に行った時…

 おばあちゃんに会ったら日本人だって言わないでねって…。

 なんだかわからないけど、日本人が嫌いなのかな?ってくらいにしか思ってなかった。

 おばあちゃんを無視して行こうとする友達におばあちゃんはここでお菓子を食べてけと…。

 おばあちゃんは私を何人だか聞かなかった。英語はあまり上手じゃなかったけど

 時々、友達の通訳を入れながらの話を聞かされた。

 この話は口に出して誰かに話した事はない。今もこれからもきっと話さない。

 話さないのではなくて話せないんだ。



 おばあちゃんは元従軍慰安婦だったそうだ。

 涙を浮かべながら話すおばあちゃんの目を見ることが出来なかった。

 どれだけ日本人を嫌っているか、何度死のうとしたかと、話してくれた。

 日本では、強制ではなかったとか、いろいろ報道されているけど

 実際には売られたり、強制だったりした人や慰安婦じゃなかった

 普通の人でも襲われたりとかあったらしい。

 やりすぎな政府同士もどうかとは思うけど、

 被害者は実際にいるんだと知った。

 友達もそんなおばあちゃんの話は初めて聞いたらしい。

 最初からおばあちゃんは私が日本人だって知ってて話始めたんだと思う。

 憎しみを私にぶつけると言う物ではなくて、事実を風化させない為にという感じだった。

 でも、それを受け入れるにのには私は弱すぎたんだって思う。

 事件としては知っていたけど事実として受け入れてはいなかった。

 友達も私も涙が止まらなかった。何も言えなかった。

 とても哀れで、とても絶えられる話じゃなかったんだ。

 謝る事しか出来なかった。

 思わず出てしまった『ごめんなさい…』の一言に

 『OK』と言ってくれたおばあちゃん…。

 やっぱり知ってたんだ…。て思った。


 日本人に産まれて初めて日本人である事を悔やんだ。

 私はきっと知らないうちに日本人である自覚と共に

 誇りも多少はあったんだと思う。

 いやみな位に…。

 経済大国日本に生まれて育った事を誇りに思ってたのかもしれない。

 経済大国日本、責任のとれない日本。

 アメリカに負けてよかった…って思った。


 この日以来、少しずつ歴史を勉強するようになった。

 『あたしは過去を振り返らない女。だから歴史は勉強しない~』

 って言ってたあたしが。


 この時初めて無知は罪だって事を知った。17の冬でした。


 生まれてこのかた、アレルギー以外は健康体なあたしが

 環境の変化に戸惑ったからなのかジンマシンが出てしまった…。

 初めて出た日。原因は草だと思った。スギ花粉みたいな。


 エミリーのソフトボールの応援の為、草むらに一日中座っていたのが原因だと思ってた。

 初体験&軽い密所恐怖症のあたし…同じものがたくさん定期的に並んだ物がダメ。

 水玉みたいな、見慣れた物なら良いんだけど…。


 夜中に手の甲がかゆくて目がさめた…暗がりでかきながら寝てたんだけど様子が変!

 手の大きさが変わってる!!!ビックリして電気をつけて確認すると…。

 今考えても恐ろしい、てがブツブツになってる!( ̄□ ̄;)!!

 しかも、かゆい。直ぐにじんましんだとはわからなかった。

 ので、かゆい=キンカン!

 と思って塗ったら、一瞬だけかゆみが止まった。

 けど、直ぐにかゆくなる。よく見ると体のやわらかい部分全体にじんましん。

 おなか、内腿、内腕、首、特にひどかったのは手だった。

 念のため!と思って持ってきておいた新しいキンカン。でかいサイズ。

 涙が出てきた…かゆくて泣いたのは初めてだった。

 後から聞いた話だけど、くすぐったくても痛くても(重傷なら別)人は死なないけど

 かゆさで人は狂って死ぬらしい。この時あたしは既に狂ってたのかも…。

 左手で、右手の手の甲の皮を剥ごうとした。

 今もその傷は残ってる。そこへ残りわずかのキンカンをすり込んだ。

 悲鳴が出るほど痛かった!けど、かゆみは一瞬緩和されたので何度も繰り返してた。

 一時間ほどで使い尽くす…。

 冷凍庫から氷を持ってきて、体中に巻きつけて寝た。

 次の日、遠慮して起こせなかったNORAに言うと、

 もし次でたら直ぐに起こして!って…。


 その夜、またでた…。原因は草じゃない!だって一回も外出てないもん!

 また狂った夜を過ごしたくなかったので、直ぐにNORAを起こした。

 病院に勤めてるだけあって、家庭の医学書はでかかった。

 医学書を見ながら、NORAはバスタブに水を張り始めた。

 なんとなくわかった。入れって事だよね?

 水を溜めつつ、台所へ行くNORA。

 手には医学書。何か持ってきた。

 箱を開けて一気に水の中に粉を入れた。

 置かれた箱を、『何これ?』と言いながら見てみると…。




 ベーキングソーダ…。


 なんだっけ?これ?








 ( ̄□ ̄;)!!じゅ…重曹!!!







 あたし…ゼリーにされちゃうの???(T△T)

 本当に入った…その中に…15分くらい入れられて上がったら…。

 今度は何か塗られてる…体の至るところに…ピンクチン…。

 あっちって赤チンじゃないのよ!ピンクチンなのよ!

 不思議だけど、治ってはいないけど、治まった…。

 翌日も出た…また…ピンクチン…。学校で笑われた…。

 原因は当時日本にはまだなかったカロリーハーフマヨネーズだと判明。

 3日間連続で口にした物が他になかった…。

 マヨネーズは大丈夫なのにハーフはダメって…。

 ちなみに鳥は大丈夫だけど

 七面鳥もダメだった…。怖くて鳥も食えない…。

 他にもワインがダメとか、川魚がダメとか…出るわ出るわ…

 トマトとえびがダメになれば良かったのに!!!くそっ!(-_-メ)


 書こうと思えばまだまだ出るけど、

 そんなん書いてたらサーバー一杯になっちゃうくらいある。

 銃を撃った時ふっとんだとか、友達が襲われて死んでしまったとか

 FBIと写真とろうとしたら怒られたとか、

 ロス暴動の時、暴徒に間違えられて通報されたとか…。

 私がいる間に最初のホームステイの時に一緒だった

 美和ちゃんが一週間くらい遊びにきたり

 ガミも2週間ほど遊びに来た。

 後はホームステイしにきた全然知らない日本人も2人来た。

 マリアルイッサと互いの言語を教えあって、二人にしかわからない言語も作った。


 きっと、この地で私の最後の人格形成が成されたんだって思う一年。

 本当に勉強だけではなく学ぶ事が多かった一年。

 よく、頭パンクしなかったよ…( ;^^)ヘ..


 校内の試験で大学進学できる事をカウンセラーに勧められた時はかなり迷った。

 あちらは試験制度が日本と違ったので確実に入れると…。

 試験を受けて、入学が決まった。

 いくつもりだったんだけど、夏休みに帰国した時にもう行く気はなかった…。

 衝撃的過ぎる一年でもあった為、もしかしたら大分疲れてたのかも…。

 家族の顔を見ると、もう行けなくなってた。


 せっかくカウンセラーの先生が入学手続きまで取ってくれていたのに…。

 幼かったんだなぁって思うよ。

 軽いホームシックにかかってたんだね。きっと…。


 今はこの経験を生かして、自分の生徒に伝えていければなって思ってる。

 貴重な経験をさせてくれた相両親に感謝です。

 ここまで読んだ人!お疲れ様~!


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